恋をする甘党の彼

後輩は先輩に片思い中

 仕事上、笑顔を作るのは得意だ。
 心にモヤモヤしたものを抱えていても、それを見せる事無く笑顔を浮かべる。
 尊敬する先輩に慕っている後輩。今、真野が見せているのはそんな笑顔だ。
 気持ちを誤魔化しながらなんとかいつも通り過ごしてきたが、流石に例の日が明日にもなると我慢が限界を迎えた。
「大池さん、今日、飲みに付き合ってください!」
 信崎の事を話せるのは、自分の教育係であり先輩の大池と、その恋人である江藤だけで。何かあると話を聞いてくれるのだ。
 大池は理由を聞くことなく、解ったと言ってくれて、スマートフォンを取り出してメールを打ち始める。
 メールの相手は江藤だろう。いつも仲が良い二人を見ていると幸せな気持ちと共に羨ましさを覚える。
 いつか自分もそうなりたいと仕事中の信崎を見れば、ばちっと目が合って思わず顔を背けてしまった。
「……じゃぁ、外回りに行ってきますね」
 誤魔化すように鞄を手にすれば、行ってらっしゃいと職場の人から声を掛けられる。
 信崎からもそう声を掛けられて、行ってきますと頭を下げた。

 研修を終えて本採用になり、一人で得意先を回るようになった。
 仕事を終えて会社に戻る途中、休憩と癒しを兼ねて江藤の喫茶店へいく。
「いらっしゃい」
 いつも優しい笑顔で迎えてくれる江藤を見るとホッとする。
 真野はいつもカウンター席に座るのだが、今日に限って席は全て埋まっていた。
 しかも真中の席には小さな子供が美味しそうにカップケーキを食べており、その周りには年配の常連客がニコニコとしながらその子を眺めている、といったかんじ。
 なんとも和やかな風景だが、誰かが孫でも連れてきたのだろうか?
「お兄ちゃん、ここ座りなよ」
 仕事に戻るからと言い、それをきっかけに他の人も御馳走様でしたと帰っていき、埋まっていたカウンターの席は真野とその子供だけになる。
 誰かの孫だと思っていただけに、何故まだここにいるのだろうと疑問に思った真野は、江藤にこの子の親はと聞いてみる。
「えっと……」
 何か言いにくそうにする江藤に、真野は疑問に思いながら口が開くのを待つ。
 驚かないでねと前置きをし、
「この子は信崎の息子で浩介って言うんだ」
 と浩介の頭を撫でる。
「えぇッ!!」
 驚くなと言われても無理な話だ。
 しかも、真野の気持ちを知っているだけに、江藤は言いにくそうにしていたのだろう。
 血の気が引く。引きつり笑いをしながらテーブルに腕を置いて体を支える。そうしないとこのまま後ろに倒れてしまいそうだから。
「……結婚していたんですね」
「まぁ、ね」
 離婚したのなら誰も話題にしないだろうし、信崎だって言いたくないだろう。
 だから今の今まで知らなかったのだ。
「ごめんなさい、俺、帰ります」
 気持ちを落ちつけたい。
 今は一人になりたいと思い席を立とうとした、その時。近くで浩介が真野を綺麗な目をして見上げていた。
「え、なに?」
 帰りたいのそこに居られたら邪魔だ。
 真野は引きつりそうになりながらも笑顔を作り。
「帰るからどいてくれるかな?」
 と言えば、
「ボク、こうすけ。よんさいです!」
 そう大きな声で自己紹介をし、指を四本たてる。
「あ、あの」
 困惑気味に江藤を見れば、自己紹介してと促され。真野はしゃがみこんで視線をあわせる。
「真野です。えっと、浩介君のパパの同僚です」
「マフィンをくれたおにいちゃん」
 そう指を差され、さらに困惑してしまう。
「実はね、この前のマフィン、浩介と半分こして食べたんだって。その時、この画像を見せたみたい」
 江藤はスマートフォンを取り出して画像を見せてくれる。それはマフィンを渡した時に信崎が撮ったものだった。
「パパのところにあそびにいったとき、はんぶんこしたの」
 ごちそうさまでしたとぺこっと頭を下げる仕草が可愛くて、落ち込んでいた気持ちが上昇した。
「どういたしまして」
「ボク、また、たべたいな」
 と、真野の手を握りしめられる。
「良いよ。また作ってあげる」
 可愛い子のお願いを断る事などできない。
「江藤さん、また一緒に作ってもらってもいいですか?」
「良いよ。どうせなら浩介にも手伝ってもらうか」
「良いですね。そうしましょう」
 一緒に作ろうねと肩に手を置けば、浩介は元気よくハイと返事をしながら手をあげる。
 その仕草が可愛くてデレっとしながら見る真野に、江藤が何かアッと声を上げる。
「そういえば、今日、約束があるんじゃなかったか」
「あ、そうでした」
 自分から誘ったというのに忘れていた。
 すごく喜んでいる浩介にまた今度なんて言えない。
「じゃあ、信崎らが帰った後、俺の家で飲む?」
「良いんですか」
 真野や大池は次の日は休みだが、江藤は休みではない。
 飲んで悩み相談にまで付きあわせてしまったら申し訳ないと思っていたのだが、今はその申し出は有りがたい。
「構わないよ」
「ありがとうございます」
「じゃぁ、待ってる」
「はい」
 仕事があるからと喫茶店を後にするとき、江藤と浩介が手を振りながら見送ってくれてほっこりとした気持ちになる。
 もしかしたら泊まる相手というのは浩介の事かもしれない。胸のつかえはとれ、約束の時間が楽しみになった。

 会社に戻り自分の席へと向かう途中、喫煙室で信崎が煙草を吸っている姿を見つけ、ドアを開けて声を掛ける。
「お疲れ様です」
「おう、おつかれ。特に問題はないか?」
「はい。特に問題なしです」
「ご苦労様」
 と、煙草を灰皿に捨て喫煙室から出てきて、席に戻る間、話をする。
「そういえば、江藤さんの所で息子さんに会いましたよ」
 信崎に告げると、ふわりと柔らかい表情を浮かべた。
「江藤の所にいったのか。うちの息子、可愛かっただろう?」
 デレデレとした顔見せる信崎に、真野は余程可愛いんだなと思いながらハイと頷く。
「可愛いし、礼儀もちゃんとしてますね。その時に自己紹介してくれて、マフィンのお礼を言われました」
「そうか。流石は俺の息子だ」
 と腕を組みながら頷く信崎に、真野は彼の親ばか加減に笑みを浮かべ。 「で、江藤さんの所で一緒にマフィンを作る約束をしました」
「そうか。浩介さ、真野の作ったマフィン、気に入ってさ。息子に付き合ってくれてありがとうな」
 ニカっと笑い頭を撫でられ。信崎に喜んでもらえて真野は嬉しくなる。
「いいえ! 浩介君、遅くなっても大丈夫ですか?」
「あぁ。今日と明日は俺んちに泊まるからな」
 部屋も汚してないぞと得意げに言う信崎に、本当ですかと真野は目を細めて疑うようなしぐさを見せる。
「お前ねぇ。じゃぁ、日曜にでも確認しに来い」
「え、良いんですか?」
 今週は家に行けないと思っていたのでラッキーだけれども、浩介との貴重な時間を邪魔してよいものなのかと考えてしまう。
「別にかまわんぞ。浩介は日曜の朝に帰るから」
 と、少し寂しげな顔を見せる。
 もしも、寂しいから自分に来てほしいと言うのなら嬉しい。
「わかりました。では日曜日に隅々までチェックさせてもらいます!」
 そう言って笑うと、お手柔らかにと信崎に頭を撫でられた。

 席に戻ると大池がお疲れ様と声を掛けてくる。
「お疲れ様です。あ、今日の事なんですけど……」
 約束の事を口にしよとしたら、
「江藤先輩からメール貰った」
 と、江藤のメールを真野の方へと向けて見せる。
「すみません、俺の方から誘ったのに」
「構わない。それに、さっきより明るい顔をしている」
 落ち込んでいたのはバレていたようで。
 辛くないのなら良いと、そう大池は言ってくれた。
「大池さん、ありがとうございます」
「さ、残りの仕事を終わらせて、定時で帰るぞ」
 と仕事に取り掛かる大池に、真野は頷いて仕事をし始めた。