求愛される甘党の彼

口説く彼に、困惑する彼

 乃木(のぎ)は小説家だ。
 執筆を始めると周りに目がいかず、狭い部屋が更に足の踏み場もないほど凄いことになっている。
 以前、女性の担当が要らぬ気を回して部屋の掃除をし、えらい目にあった。それ以来、自分の部屋には上がらせない。打ち合わせや原稿の受け渡しは近所にある喫茶店を使う。
 ここはおじいちゃんがまだオーナーだった頃からの常連であり、孫が後を継いでからもそれはかわらない。
 今日はデビュー当時からお世話になっている雑誌の担当編集者である百武(ひゃくたけ)へ原稿を受け渡す。
 彼は入社1年目の23歳。乃木の5つ下であり、同じような体格の強面で愛想が無い男だ。

 普段はブラックなのだが、今日は妙に甘いモノが欲しくて、カフェモカを入れてもらう。
 仄かに甘い香りがし、原稿を読んでいた百武がピクリと反応する。
「ん?」
 ここの珈琲はおいしいよと飲むかと誘ったが、自分の事は気にするなと、しかもお冷すら要らないからと断ってしまう。そんな彼がはじめて反応したのだ。
「何か気になる事でもあったのかな」
「いいえ、今のところは特に問題ありません」
 原稿の事だと思ったようだが、そういう意味じゃない。
 今、それを尋ねたら嫌な顔をされるだろう。原稿に集中する百武の邪魔をするのはやめておこうと、乃木はカフェモカを口にした。

 社に戻りますと百武は喫茶店を後にし、乃木は空のカップを持ってカウンター席へと移動する。
「はい、江藤君。美味しかったよ」
 カウンター越しにカップを受け取り、オーナーの江藤がお礼の言葉を寄越す。
「今度は珈琲を頂戴」
 凝った肩を解すように首を傾けて腕を回す。
「はい、畏まりました」
 暫くして目の前には珈琲が置かれる。
「真面目な子だけれども、もうちょっと愛想があってもなぁ……」
「そうですか?」
「あの子と私、仕事の話以外したことないもの」
 結構気まずいのよとぼやけば、江藤は苦笑いを浮かべている。
「あ、そういえば、江藤君と大池君もそんなだったっけね」
「はい」
 大池とは、まだ江藤が会社へと勤めていた頃の後輩で、恋人同士でもある。
 会社に居た頃は特に仲が良いわけでもなかったそうで、江藤が会社を辞める日に飲みに誘われ。それが切っ掛けでここで朝食をとるようになり、なんだかんだで二人の関係がぐっと縮まった。
 その話を聞いたのはつい最近で。
 実はと言えば、大池は専門は違うが同じ大学へ通っていた。なのでその話からはじまったのだが、いつの間にか二人の恋の話で終わっていた訳だ。
「なにか切っ掛けがあれば話せるようになるかな。君らが話せたように」
「そうですね。何もしないよりは良いかもしれませんよ」
 頑張ってくださいと微笑む江藤に、乃木は苦笑いを浮かべる。
 さて、どうやって攻略したものか。
 それを考えるのも意外と楽しい。

◇…◆…◇

 今日は一人の客として、喫茶店へと来ていた。
 オーナーとはあまり話をしたことはないけれど、乃木から紹介されて互いに顔見知りだし名も知っている。
「百武君いらっしゃい。乃木さんと待ち合わせ?」
「いえ、今日は客として来たんで」
 打ち合わせの時はテーブル席へとつくのだが、そのままカウンター席へ向かう。
 今は平日の昼時。目立つところに「お昼のパンのサービス」の張り紙があり、その下には残り何個と数字が書かれている。
「甘いの、平気?」
「はい。平気です」
「飲み物は何に」
「この前、乃木先生が飲んでいたのを」
「あぁ、カフェモカね。かしこまりました」
 すると生クリームがたっぷりと入った甘い香りの珈琲と、白いパンがのせられた皿を目の前に置かれる。
「いただきます」
 柔らかそうなそのパンにかぶりつくと、カスタードクリームと生クリームが中に入っていた。
「……美味い」
 絶妙な甘さがたまらない。
 百武は甘いモノに目が無く、思わず口元が緩んでしまう。
「江藤さん、これ、美味い」
 パンを指さし江藤を見れば、やたら嬉しそうな表情を浮かべていて。子供っぽい所を見せてしまったと表情を引き締める。
 若いという事で舐められたくはないと、落ち着いている所を見せようとするのだが、それが百武に愛想のない表情を作らせているのだ。
「あぁ、勿体ない」
「え?」
「眉間にシワ寄ってる。それでなくても目つきが怖いんだから」
 眉間のしわを指で押さえ、江藤がにっこりと笑う。
 なんか憎めない。相手が江藤でなかったら不機嫌な顔をして黙り込んでいただろう。
「百武君、甘党だったんだね」
「はい。俺、珈琲は苦くて飲めねぇんです。見た目がこんなだから、砂糖とミルクを入れて飲んでいたら余計に馬鹿にされんじゃなぇかって思ってしまって」
 自分の担当する作家には、若造だと舐められたくないのだ。
「そうだな、可愛いって思ってしまうかも」
「でしょう? だからこの事は乃木先生には内緒に」
 そう江藤にお願いすると、
「あ……」
 何故か気まずそうな顔を向けられる。
「何が内緒なのかな?」
 すぐ傍で声が聞こえて、そちらへ顔を向けると乃木の姿がある。
 話しに夢中だったからか、ドアベルが鳴った事にも気が付かなかった。しかも江藤が何も言わなかったから余計だ。
「どうして」
 乃木が居る事を言ってくれなかったのかと、江藤を恨めしく見る。
「だって、店を覗いたら百武君がいたものだから。江藤君に内緒ねって」
 唇に人差し指を当ててポーズをとり、そういう事かと納得する。
 ようするに乃木が悪いのかと、目を細めると江藤が申し訳なさそうに手を合わせる。
 「ごめんな。タイミングよく乃木さんが来たもので、言うに言えなくて」
「いえ。江藤さんは悪くありません。先生は迷惑ですが」
 と冷たい目で乃木を見る。
「そんなこと言うんだ。百武君、酷い」
 そう言うとすぐ隣の席に腰を下ろし、コーヒーカップの中を覗き込んでくる。
「あれ、これって、カフェモカ? そっか、君って甘党なんだ」
 嫌な相手に見つかった。そう思って俯けば、
「驚いたなぁ、随分と可愛い顔をするんだね」
 と言われ、パッと顔を上げて乃木の方へと顔を向ける。
「なにを言って……」
 可愛い顔とはなんだ?
 掌で自分の顔をぺたぺたと触れば、クスクスと笑い声をあげて。
「頬、真っ赤だよ」
 と頬を触っていた手を握りしめられる。
「なッ」
「可愛い」
 甘く囁くようにそう言われ。無駄に顔の良いだけに胸が高鳴ってしまった。
 そう、乃木は女性受けする容姿をしており、身長も自分と同じくらいなので180センチはあるだろう。
 百武の場合は威圧を与えるその背丈も、乃木の場合はモデルの様に見える。
「乃木先生、手、離してくれませんかね?」
 そんな自分にムカついて乃木を睨みつければ、
「怒らないでよ。顔、怖いよ」
 と口角をあげる。その表情もさまになっていて、更に眉のシワが深くなる。
「普段からこんな、なんで」
 無理ですと言えば、乃木が楽しそうに口元を緩めていた。
「うん、いつもの無愛想よりも全然良いよ」
「はぁ?」
 何を言いだすんだ、この人は。
 うろんな目で乃木を見れば、くすくすと笑い声をあげる。
「君、なかなか感情を見せてくれないじゃない」
 無意識なの、それともわざと?
 そう顔を覗きこまれて、百武は背を後ろへと反らす。
「見せねぇようにしているんで。若いからって馬鹿にされたくねぇんですよ」
 これ以上、近寄らないで欲しいとばかりに掌を乃木に向ける。
「しかも、話し方が少しだけ砕けてるし」
「今は仕事じゃねぇですし」
 とは言いつつ、きっと相手が乃木や江藤だからだ。
「うん。良いね。もっと百武君の事を知りたいから仕事以外でも仲良くしようよ」
 飲みに行こうと言われて、即、却下する。
 百武は酒が苦手だし、仲良くする気は毛頭ない。
「俺は、担当と作家という関係以上の仲になるつもりはねぇんで」
 そうはっきりと口にすれば、乃木はやけに楽しそうな顔をしている。
「つれないね。そういう態度をとられると余計にもえるんだよね」
 絶対仲良くなる。そう拳を握りしめて公言する乃木に、百武は眉にしわを寄せる。
「乃木先生、ウザってぇ、ですね」
 苦手ですと口にすれば、乃木が吹きだして腹を抱えて笑い出した。