獣人、恋慕ノ情ヲ抱ク

リュンの主張

 診療所へと行き受付へ声をかける。
 リュンはライナーの診療所にいると言われて診療室まで向かうと、ドア越しに楽しそうな声が聞こえてきた。
 中にはリュンとライナー以外にもいるようで、セドリックがドアをノックし、名前を告げるとドアが開いた。
「セド、ブレーズ」
 リュンだ。顔色もよく元気そうな表情を浮かべている。記憶を取り戻したがいつも通りで安堵した。
「リュン迎えに来たぞ」
 セドリックが抱き上げるとリュンが頬を摺り寄せた。
「随分と楽しそうだったね」
「エメとルキがいるの」
 とリュンがふたりの方へと顔を向けた。
「ライナー先生から連絡がきてね、リュンと遊んでました」
「俺は泊ったので」
 そうふたりがこたえて、三人にありがとうと告げる。
「リュン、先生とお話をしたいから、もう少しだけルキ達と遊んでいてくれるか」
「うん、あそぶ」
「それなら別の部屋を用意してあるからそこで遊んでおいで。エメ、案内を頼む」
 とライナーがいい、あらかじめ用意しておいてくれたのだろう。本当に気持ちがわかってくれる先生だと感謝しかない。
「それじゃ、いこうか」
 三人が部屋を出ると、セドリックが口を開いた。
「リュンの記憶が戻ったと聞きましたが」
「あぁ。ふたりともまずは座れ。その方がいいから」
 椅子がふたつ置いてあった。今から聞くことはそれほど深刻なことなのだろうと覚悟して腰を下ろす。
 ライナーが引き出しから紙を取り出してこちらに差し出す。ここに書かれているのはリュンから聞いた内容だという。
 名前の欄にはリュンと書かれていて年齢は十歳。住んでいた場所は空欄、そして売られた後のことが書かれていた。
「リュンは名前を忘れていたのではなく知らないと言っていた。呼ばれたことがないからだとな。今から売ろうとしていた子供たちに名前がないのは彼らにとって好都合だし、必要なのは歳だけだ。買い手が欲しがるのは五歳から七歳くらいの子供だからな」
 リュンは実年齢よりも幼く見えるのは、まともに食事を与えてもらえなかったから。しかも名前も呼んでもらえなかったとは。
 どうしてこんなことができるのだろう。ぎゅっと拳を握りしめて胸に押し当てる。
 自分はどれだけ恵まれているか思い知る。家族の愛情とやさしさに包まれて生きてきたのだから。
 するとセドリックの手がブレーズのもう片方の手を握りしめた。
「辛いだろうが、ブレーズ、バードに話を聞きに行ったときのことを教えてくれ」
「うん。売られてくる子供の大抵は親に酷い扱いを受けています。あの子もそうでした。連れてきたときはすごい怪我を受けていて治るまで俺が面倒を見ることになりました。素直に慕ってくれるのが嬉しくて、こんなことをしていてはダメだって思うようになったんです。でも、俺は怖くて逃げられなくて、せめて彼だけはと病気を装い逃がしました
「リュンも同じことを話していた。バードの本名はミヒルといい、子供たちの面倒を見ていたとな。そして逃がしてくれたと」
 思惑通り、リュンを捨てていくとアジトに置いていった。しかし逃げ出そうとしても窓とドアは開かぬようにされており、結局は閉じ込められたままで、空腹と寒さから熱を出し意識を失ってしまった。
 そしてセドリック達に発見された、というわけだ。
「辛い目にあったのにリュンが明るいのはバード、いえミヒルのおかげですね」
「そうだな。彼がいなければリュンは生きた人形のようになっていただろう。だがな、記憶を取り戻してもリュンが変わらずいたのは、ふたりの存在があったからだと俺はそう考えている」
 自分だったら忘れていた記憶がよみがえったらどうなっていただろう。セドリックと目が合い、そして肩にそっと手が触れた。
「ミヒルのためにもしっかりと罪は償わないといけない。セドリック、見つけてやってくれ」
「はい」
「リュンの帰るべき場所はお前たちの元だ。ふたりきりで確認はできただろう?」
 にやりとライナーが笑う。匂いがまだ残っているかと焦るが思えば同種の彼が匂いに気が付くはずはない。
「なんで」
「そりゃわかるよ。お前たちは俺と違って素直だしな」
 ここに来るまでの間、いちゃいちゃとしていた。それが漏れ出ていたのか。
「はい。たっぷりと確認できました」
 思えば肩を抱かれたままだった。急に恥ずかしくなって体を引き離す。
「照れるな。親が仲良しだと子供は安心する。その姿を見せてやるといい」
 セドリックから好意は感じる。だが友達としてか恋愛感情があってかはわからない。だから仲の良い姿は見せられても意味合いは違うかもしれない。
 そう考えてしまうと浮かれている自分がばかだなと冷静になっていくのだ。
「そうなんですね。でも僕とセドは夫婦じゃないですから。あ、そろそろリュンのところへ行こうよ」
「あ、あぁ、そうだな。ライナー先生、お世話になりました」
「また何かあったらおいで。三人がいる部屋はここからまっすぐ行き、突き当りを右にいくとある」
 頭を下げて部屋を出るとすぐにセドリックがブレーズの腕をつかんだ。
「え、どうしたの」
「ブレーズ、俺は……」
 何かを口にしかけて顔に手のひらを当て天を向き、尻尾が落ち着かず上下に振り落とす。
「いや、なんでもない。行こうか」
 とセドリックが歩き出す。前にも何かを言いかけたことがある。結局は何だったのかを聞くことはできなかったが、本当は気になっている。今のもだ。
 だが彼は何も言わずに笑みを浮かべるだろう。

※※※

 ミヒルと仲間たちを捕まえたという知らせを受けたのはあれから三日後のことだった。
 内偵で得た情報をもとに、下水道を使い子供を連れて行こうとしていたのを取り押さえ、アジトとして使用していた部屋に残っていた子供の保護と一味の身柄をおさえた。その中にミヒルの姿もあったという。
「ミヒル、みつかったの?」
「見つけた。子供たちも保護したぞ」
 それを聞いてホッとした。ミヒルを止めることができたのだから。
「よかった」
「またあえるといいな」
 リュンにとってはバードとの思い出はよいものだったのだろう。悪いことをしていたとしてもだ。
 複雑な気持ちになりブレーズはしゃがんでリュンを抱きしめた。
「ブレーズ、どうしたの」
「リュン、ミヒルとは……」
 口にしようとした言葉をさえぎるようにセドリックがふたりを抱きしめた。
「リュン、ミヒルとは会えない」
「え、なんでっ、ミヒルとあいたい!!」
「ミヒルは罪を償うために遠くに行くことになるだろう」
「そんな、いや」
 体をよじらせてふたりから抜け出ると外へと飛び出していった。
「リュン!」
 すぐに後を追いかけると木に登っているところだった。
「リュン、危ないから」
 やめさせようと木へ向かおうとするが、セドリックに止められた。
「セド」
「大丈夫だ。もしものときは受け止める」
 太い幹までたどり着きそこに座るリュンに、
「リュン、悪いことをしたらどうなるかわかるよな」
「うん。でもミヒルはやさしかった」
「あぁ。リュンを俺に引き合わせてくれたのだからな」
「せめてボクだけはって、ミヒルのちで、ボクをびょうきにみせたの。これでたすかるからって、いいじゅうじんにみつけてもらえって」
 そしてセドリックとあえたの、そうリュンはいい、そして大きな声をあげて泣き始めた。
「リュンをあそこで見つけた時、病気だからと放置したのだと思っていた。だが、ライナー先生から命に別状はないと聞き、あれは助けるための偽装だったのだと知った。自分たちのしていることが間違いだとわかっている獣人がひとりでもいるとわかり少しだけ救われた」
 いったん言葉を切り、
「それがパン屋で子供たちに優しかったバードでそれが本当はそうして生きていきたかったのだと思っている。だがミヒルはやってはいけないことをした。だから罪を償わなければいけない」
「だけどあいたいの」
 本当はリュンもわかっている。だけど認めたくないのだろう。
 その理由はなんだろうと考えた時、ある答えにたどり着いた。
「リュンは、ミヒルにどうして会いたいの?」
「おれい、いいたい」
 やはりそうだった。リュンは助けてもらったお礼を言いたかったのだ。
「そうか、それは気が付かなかった」
 リュンの気持ちを知り、セドリックも納得したようだ。
「わかった。どうにか会えるように掛け合ってみよう」
「ほんとう」
 嬉しさから木の上であることを忘れてしまったか立ち上がろうとして足を踏み出した。
 そこは何もない。リュンの体は真っ逆さまに落ちていく。
「リュン!!」
 悲鳴をあげるブレーズに、
「大丈夫だ」
 と肩をたたき、高く飛び上がっって腕の中へと見事にキャッチをする。
「セド、すごい」
「だろう?」
 落ちた本人は楽しそうだし、セドはいつもの通りだ。腰を抜かして座り込んでいるのはブレーズだけだった。
「よかった、無事で……」
 それを見たふたりが慌てて側へとやってくる。
「大丈夫か」
「ブレーズ、へいき?」
「獣人の君たちは大丈夫だと思っていても、人の子である僕は思っていることが違うんだよ」
 自分だけ平気でないことに怒りがこみあげて顔をそむけた。
「ごめん、驚かせたよな」
「ブレーズ、ごめんね」
 もふんと両頬に頭をくっつけてぐりぐりとしはじめた。反省をしているといいたいのだろう。
「ずるいよそれ」
 大好きな獣人にそれをされたら怒っていても許してしまう。 
 耳をたらしてキューン、ぐるぐると鳴き声をあげる。
 怒ったふりをしてもすでに頭の中は可愛いで埋め尽くされている。
 口元がふよふよと動き、目じりが下がっているに違いない。
「セド、ブレーズ、もうおこってないよ」
 顔をしたから覗き込みそうセドに伝える。
「本当だ。よかった」
 同じように顔をのぞかせるセドリックに、ブレーズは笑みを浮かべてふたりに腕を回した。