Short Story

落着

 石井の想いを知っていてキスをしたのも、恋人と勘違いをさせてしまったのも大浜が悪い。しかも、身体のつながりを求められて怖くなって逃げだしてしまった。
 そして、石井から表情が消えた。
「石井の奴、昔に戻っちまったな」
 隣で珈琲を飲みながら加藤がいう。
「加藤さん」
「それにお前に懐いていたなと思ってたのに、この頃、話もしてねーよな?」
 仕事の話以外に会話がはない。あからさま過ぎて気が付くだろう。
「……避けられているんです」
 電話をしても出てくれない。メールの返事もない。話をしたくとも避けられて出来ないでいる。
「マジか。なにやったんだよ」
「アイツを受け入れておいて、拒んだんです」
 何も言わずに頭にぽんと手を置いて撫で、
「よし、これを食べて元気をだせ」
 と机からチョコレートの箱を出す。
 ノワ・ショコラ。ノワとはクルミやナッツの事で、それにビターチョコレートが絡めてる。加藤がよく食べているものだ。
「これ、加藤さんの元気の源」
「今日は可愛い後輩に譲ってやる」
「ありがとうございます」
 慰められる。加藤は本当に良い先輩だ。

 定時で帰れたこともあり、無になりたくていつもの河川敷を走る。
 石井と話したいけれど避けられる。
 前に切っ掛けを作るために飼い犬を利用した事を怒ったが、今はその気持ちが解なと思ってしまい、駄目だなと頭を振るう。
 結局、リフレッシュにならず、いつもよりも短い距離でUターンをする。
 マンションの近くで犬の散歩中の背の高い影を見つけた。
 そう、あれは、きっと……。
「石井!」
 大声で名を呼べば、その影が立ち去ろうとする。
「逃げるなっ」
 急いで追いかけて、体力のない向こうはあきらめて立ち止まった。
「俺から逃げようなんて無理なんだよ」
「はぁ、はぁ、そう、ですね……」
 息が上がってしまったようで、前かがみになり息を整えている。
 ご主人様とは違い、武将は元気に尻尾を振って足にまとわりつく。
「こんな時間にマンションの前までくるなんて、俺の事が好きな」
 しゃがみ込んで武将を撫でながら石井を見上げる。腕につけたLEDライトが淡く表情を照らす。
「……はい」
 ハッキリとその表情は見えないが、きっと照れている。
「なぁ、話をしよう」
 と手を掴むと、振り払われなかった。
 それを了承と受けとり、街灯の下へと移動する。
「お前は俺と恋人同士になりたいんだよな」
 そう確認するように問う。
「勝手に解釈するといったら、そうしてくれというから、恋人同士になったんだと、そう解釈したまでです」
 あの時は恥ずかしくて、そう言ってしまった。きちんと告げなかった自分が悪いし、石井の心を傷つけてしまったのだから。
「ごめん、俺の返し方が悪かった」
「酷いです、貴方は。俺、死ぬほど嬉しかったのに。今だって諦めきれなくて、此処まで来てしまいました」
 なんて一途で健気な男なんだろうか。
「お前の気持ちを解ってたのに、一緒に出掛けると楽しくて、俺に懐いてくれるのが嬉しくて……」
「もういいです。俺、帰ります」
 聞きたくないと背を向けた石井の腕を掴んで引き止める。
「離してっ。好きになってもらえないなら、俺はもう貴方の傍に居たくはない」
 辛いだけですからと切なくいわれ、胸が苦しくなる。
 石井にこんな思いをさせたい訳じゃない。誰かと一緒だと楽しいという事を知ってほしい。
「嫌だ。この手を離したら、お前がどっかへ行ってしまう」
 腕がふるえる。
「それはどういう意味ですか? 会社をやめるとでも思っているんですか」
「そう言う事じゃなくて。折角、笑えるようになったのに。それが見れなくなるのは嫌だよ」
 後ろから抱きしめると、身体をよじりながら逃げ出そうとするので、力を込めた。
「そんなもの、前に戻るだけでしょう! もう離して」
「嫌だって言ってんだよ。俺はさ、お前の隣で一緒に笑いあうって決めたんだよ」
「……それって」
 肩の力が抜け、顔をこちらへと向ける。
「いざ、恋人になって身体を繋ぎ合わせる事を考えたら、急に怖くなったんだよ。相手は男だぞ、本気なのかって」
 真っ直ぐに向き合う事もせずに逃げだしてしまった。本当に情けない男だ。
「でもさ、それから頭ン中に浮かぶのはお前の事ばかりでさ。表情をなくしていく姿を見てたら辛くて。そうさせてしまったのは俺なのにな」
 ごめんな、と、石井の頬を撫でれば、表情に少しだけ変化が現れる。
 良かった。ホッと息をつく。
「俺が恋人になって傍に居たら、お前は色んな表情を見せてくれるよな?」
「俺は、貴方が居ないと楽しいという実感が持てない」
 だから傍に居てくださいと、手を掴まれ、恋人つなぎになる。
「もう逃げねぇよ。一緒、俺に付きまとってろ」
「俺、ストーカーじゃないですけど」
「は、良く言うよ。ほら、俺の部屋に行くぞ」
 手を繋いだまま、マンションの部屋へと向かう。
 リビングのテーブルの上に置きっぱなしのチョコレートの箱があり、
「これ、Le・シュクルの、ですよね。加藤さんに貰ったんですか?」
 あからさまに不機嫌になる石井を鼻で笑う。ヤキモチを焼かれて嬉しいと思う。
「何笑ってっ」
 詰め寄る石井の、その唇に軽く口づける。
「やー、可愛いなって」
「なっ」
 慌てる姿も愛おしい。
 口角をあげ、彼から離れると武将の元へと向かう。
 尻尾をはちきれんばかりに振るい喜んでいて、その身を抱き上げて頭を撫でる。
「大浜さん」
 武将を抱いたまま、石井の元へと戻り額を肩に当てる。
「お前も、武将も、可愛いよな。俺が近寄っただけで喜んでくれて」 
 目尻がひくっと動き、そして腕がそっと腰へと回る。
「貴方だって、可愛い、ですよ?」
「あぁ? 違うだろ。俺はカッコイイの!」
 そこは譲れないと人差し指を石井の顔の前にたてる。
「そうですね。かっこいいです」
 石井がくすりと笑う。良い傾向だなと嬉しくなって大浜も笑う。
「よろしい」
 と再び口づける。深く、欲を感じるものだった。
「なぁ、たってるぞ」
 下半身の膨らみを指させば、石井が貴方もですと返してくる。
「触るか?」
「ですが、無理って」
「あの時は覚悟が足りなかった。でも今はお前に触れて欲しい」
 石井の手を掴んで自分の胸へと押し当てる。
「まだ本番は無理だけど」
 それでもいいかと顔を近づける。
「はい、それでもいい、貴方が俺に触らせてくれるというならば」
「よし。武将、玄関で大人しくしてるんだぞ」
「わん」
 段ボールの中にクッションを詰めてそこに武将を入れる。
 大浜の匂いがついているせいか、大人しくそこで丸くなった。
「うん、いい子だな武将は」
 後ろから抱きついている石井に向けて言う。
「俺の子ですから」
「下心で武将を利用していた癖に」
「武将はキューピットです」
「はは、調子いい奴」
 と軽く拳で肩のあたりをたたき、
「その前に、シャワー浴びてくる」
 走ってきて汗をかいているからと、離れるようにいう。
「別に、臭くないですよ」
 すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ石井に、顔を向けて離れろともう一度言う。
「よいから待っときなさい」
 ベッドを指さすと、今度は素直に身を離した。