Short Story

手ぐすね引いて待つ

 繁忙期に入ってからあっという間に時がたつ。あまりの忙しさに時間が足りないとおもうほどだったから、そう感じるのだろう。
 忙しさもピーク時に比べたらましになった。残業はまだ続けなければならないが、泊まり込むほど遅くまで仕事をすることもないだろう。それだけで気持ちが楽になる。
「はぁ、疲れましたねー」
 余裕が生まれたから出た台詞。忙しい間は暗黙のルールではないが、誰一人としてそれを口にする者はいなかった。
「あとひと踏ん張り。社長と加藤さんから美味しいご褒美が待っているだろう?」
「そうでしたね。俺、皆と飲むの好きです」
「おー、俺も楽しみだわ」
 と後ろから声がする。
「加藤さん」
「おう、お疲れ。ほら、差し入れだ」
 ダックワーズを手渡される。アーモンド風味のメレンゲを使った焼菓子で、日本生まれのフランス菓子だ。
「ありがとうございます」
 加藤の同居人はパティシエで、練習で作ったものや、訳あり品を持ってきてくれる。 
 甘いモノすきが多いので、皆、差し入れに喜んでいる。
 お菓子一つでもやる気の素になる。机にだらっとしていた水瀬が背筋を伸ばした。
「やる気出ましたっ」
 そう元気よく告げる姿に、げんきんだなぁと誰かが口にして笑う。
 もうひと踏ん張り頑張ろう、お菓子と水瀬の明るさが周りをそうさせた。
 本当にいい仕事をする奴だ。
 加藤もそう思ったか、亮汰にニッと笑い水瀬の頭を撫でて他の人の元へと向かう。
「撫でられるの好きな」
 水瀬の頬が緩んでいる。甘えん坊だからなのか、そうされるのが好きなようだ。
「空手に行きたいですね。皆に会いたいなぁ」
 水瀬の弟は高校生で、空手部に入っているらしく、亮汰も通っているのもあって通うようになった。
 そこは運動不足を解消したいとか、ストレス発散が目的で通っている大人も多く、練習後に飲みに行くのも楽しみの一つだった。
「まぁ、ピークは過ぎても残業しねぇとだからな」
「そうなんですよねぇ……」
 がっくりと肩を落とす。
「ほら、あと二日で休みだろ」
 会社は週休二日制なのだが、繁忙期になると土曜も出勤となる。
 今週も土曜日は出勤となっているが、多分、半日で大丈夫だろう。
「うう、そうですね」
 仕事を始めようと椅子に座ると、机の上に置いておいたスマートフォンが震える。
 画面を見ると桜からで、メールを開くと、隆也を亮汰の所に住まわせてほしいということだった。
 二年前からから桜の家族が長谷家に同居をはじめ、家を建て替えた。確か、隆也の部屋はないようなことを言っていた。
 帰ってこないのが悪いと、その時はそう話していたが、帰国したのに住む所がないとなったら可哀そうだ。
 借りているマンションは2LDKで、洋室を寝室として使っているだけでほぼリビングにいるし、和室は客が来た時ぐらしか使っていない。
「おい、水瀬。日曜日、買い物に付き合え」
「買い物ですか、それなら、土曜日に泊まりにきてくれます?」
 部屋で一人で過ごすのはあまり好きではないらしく、休みの前の日になるとよく誘われる。
 それなら恋人を作ればいいのだろうが、それが上手くいかないのだとぼやいていた。
「わかった」
「やった」
 喜んで抱きついてくる水瀬に、鬱陶しいとその身を引き離す。
「あん、冷たい。唯香ちゃんはよいのに、俺は駄目なんですか」
「唯香は可愛いからな」
「そりゃ、そうでしょうけどぉ。後輩にもう少し優しくしてもいいと思います」
 と抱きついて肩に頭をぐりぐりとくっつける。
「犬ですね」
 バイトの子がそう口にすると、また周りが笑いに包まれた。

 水瀬は一番仲の良い後輩だ。何度も家に遊びに来ているし泊まることもある。
 ゆえに勝手知ったる他人の部屋というわけだ。
 焼酎を飲んで酔っぱらった水瀬を寝室へと運び、自分はソファーで休もうと思ったら腕を掴まれて、結局は朝まで抱き枕状態だった。
 隣で気持ち良く眠っている水瀬を見ていると腹が立つ。
「こら、起きろ」
「ふがっ」
 鼻をつまんでやれば、苦しくて目を覚ました。
「おはようございます……」
 大きなあくびをし、サイドボードに置かれたスマートフォンを手にして、
「ありゃ、もう九時ですね」
 とベッドから起きあがった。
「どっかで朝飯を食ってから店に行くか」
「そうしましょ」
 確か行く途中でファミレスがあったはずだ。着替えを済ませて水瀬が車のキーを取り出した。
 
 食事を終えて家具・インテリア店へと向かう。
「何を買うんですか?」
「あ……、布団と衣装ケース。後は座椅子に折り畳みのテーブルくらいか」
 桜からは布団だけあればいいと言われたが、一人になりたいときに部屋で使ってもらいたい。
「ちゃぶ台なんてどうです?」
「おう」
 座布団に座りお茶をすする、そんなのんびりとした過ごし方もいいなと思いかけたところに、べつなものと目が合ってしまった。
「あれがいい」
 折り畳み式の文机と書いてあった。
「わ、書生さんですね」
「窓際に置いたらよくないか」
「はい。絶対にウケます」
「ウケ狙いじゃねぇし」
 と笑い、それを購入することにした。
「後はマンションに運ぶだけですね」
 買った荷物を車にのせ、今度は亮汰のマンションへと向かう。
 なにもなかった和室に物を置いただけなのに、隆也が帰国するという実感がわいてきた。
「従兄弟さんの帰国、二日後でしたっけ?」
「あぁ。その日、半休を貰ったから仕事は任せる」
「了解です。それにしても、相当楽しみなんですね」
 普段は仕事優先なのにとくすっと笑う。
「悪いか?」
「いいえ。それじゃ俺はそろそろ帰ります」
 やたらといい笑顔を浮かべられた。本気で良かったなと思っているのだろう。
 たまにそういうことを察してくるからムカつく。
 だが、そういう男だからこそ可愛がってしまうわけだ。
「おう、今日はありがとうな。気を付けて帰れよ」
「はい。また明日」
 玄関のドアが閉じ、亮汰は和室へと向かう。
「あと二日か……」
 文机の前に座って天板を撫でる。
 はやく会いたいという気持ちが抑えきれないのは、この部屋のせいだ。