小さな食堂

心の拠り所

 一カ月前に郷田は交番勤務から刑事課へと異動になった。
 新しい土地での生活は特に以前と変わらず、アパートから勤務先を往復する毎日であり、食事はコンビニで買った弁当を食べていた。
 普段は通らない道を通ろうと思ったのは気まぐれだった。
 そこに店を見つけ、足が止まる。
 昔懐かしいその雰囲気は中へと入るとよりそう感じた。カウンターと座敷がありメニューは日替わり定食とビールと日本酒しかないが、別に腹が満たされれば郷田はそれで構わなかった。
 カウンターの隅の席に腰を下ろすと、一気に視線を感じた。
 大柄で強面な姿を恐れて警戒しているのだろう。居心地の良い空間は自分の存在によって重苦しくなり、食事をして早く帰ろうと店主を真っ直ぐと見つめる。
 エプロン姿の彼は、たれ目の甘いマスクをしている。歳は20代後半から30歳くらいの中肉中背。
 別に彼の特徴を覚える必要もないのに、つい、刑事として彼を見てしまうのは職業病だよなと同僚がいっていたが、その通りだと思う。
「お待たせいたしました」
 油でいためた茄子、ピーマン、ジャガイモ、豚肉を味噌で煮込んだものとサラダとお新香、そして豚汁がついている。
「頂きます」
 そう手を合わせて、茄子を一口。なんともほっこりとくる優しい味付けだ。
 すぐ近くで視線を感じてそちらへと向ければ、店主が自分を見て微笑む。
 それは料理と一緒で、郷田の心までもが温まった。

 歓迎されざる者。そう思われてもあの味を求めてしまう。出入り口の戸を開けて暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ」
 流石に店主は微笑みを浮かべていたが、数名の客が自分を見て警戒している。きっと昨日もここに居たのかもしれない。
 それから店が開いている時間帯に帰れる時は寄った。しかも、一週間ほどたったころ、はじめて店主に挨拶以外で声をかけられた。
 常連らしき客の視線を気にし、この悪い雰囲気を少しでも良くしようと思ったのだろう。
「お兄さん、この頃、毎日来てくれるよね」
 と。
 刑事だということはあまりいいたくなかったので、それは伏せて仕事の都合で越してきたと話す。
 店主が話しかけてきたこともあってか、聞き耳を立てていた周りから少しだけ警戒が薄れた。
 それから数日後、刑事だとばれた。強盗犯を逮捕した所を見ていた人がいたのだ。
 二人に名刺を渡すと、河北と名乗る男が自分と店主の自己紹介をし、郷田のことをどう思っていたのかを正直に話した。
 見た目から筋ものだと誤解されることはあるし、強面ゆえに舐められにくいよなと同僚にはいわれている。
 それが切っ掛けで、今まで警戒していた人からも声を掛けられるようになり、中へと受け入れられたようだ。
 その様子を沖が微笑みながら見ており、それが嬉しいと思う。
 店にいる時間はとても心地よく、郷田の癒しの場所になりつつある。
 だが、ひとだび事件が発生すると解決するまで家に帰れない時もあり、この頃はコンビニの弁当やパン、カップラーメンなどで食事を済ませていた。
 沖の作った暖かくて美味しい料理が食べたい。たまに目が合い、微笑んでくれるその姿を思い浮かべる。
「おい、いくぞ」
 すっかり沖の作った料理のファンになってしまった。仕事中に想ってしまうくらいに。
 そんな郷田に、相棒である先輩の佐木(さき)が背中をおもいきり叩いた。
 身長は郷田より少し低いくらいで、立っているだけで威圧感を与える郷田に対し、柔軟性のある彼は話を聞きだすのがうまい。
 郷田は彼と組むようになって随分と仕事がやりやすくなった。
「はい」
 帰宅途中の女性に男が背後から襲い、腕をナイフのようなもので斬りつけるという傷害未遂事件が発生した。
 幸いなことに通りかかった高校生が女性を助け、彼女は無事であった。
 証言から犯人は彼女の元・恋人だった男で、数日前からストーカーをしていたらしい。
 男は彼女を襲った後、家へは戻らず逃亡をした。その足取りを追うために聞き込みをする。
 有力な情報をもとに、防犯カメラに男の姿を見つけ居場所が確定した。
 昔通っていた大学の近くにある漫画喫茶で寝泊まりをしていた。そこに踏み込み逮捕となった。

 沖の店に寄ってから帰ろうとしていた所に、班の皆で飲むからと佐木に「マル対、確保」と居酒屋へ連行された。
「今日は班長も一緒なんだし付き合えよ」
 と一緒に飲みにきた班長である西久保(にしくぼ)と佐木の間に座らせる。
 佐木にはよく飲みに誘われ、前はお供をしていたが、沖の店へと行くようになってからは断ることが多い。
 しかも西久保も一緒に飲むのは何か月かぶりではないだろうか。
「こうして飲むの久しぶりですね。二人とも連れないから」
 西久保は郷田の父と同じ年で、一年前に娘が嫁に行き、夫婦だけの生活となった。それゆえに帰れるときは飲まずに帰るようになった。
「はは。悪いなぁ」
「班長は仕方がないとして、郷田ですよっ」
「お前さん、好きな奴でもいるんじゃないのか?」
 からかうように西久保にいわれ、
「なっ、まじか」
 と佐木が前のめりになり、どこのどいつだと肩をつかんで揺さぶられた。
「いえ、美味い定食屋を見つけて」
 色気より食い気、それがわかった途端、佐木がつまらんと揺さぶるのを止めた。
「ははは、胃袋をつかまれたか」
「はい。ですが、店主と、その店の雰囲気も好きです」
 初めての時は流石に警戒されたが、二度目からは彼だけは自分を迎え入れてくれていた。
 食事をしている時は視線を感じるし、頂きますとごちそうさまの言葉に返事をしてくれる。
 今は郷田を刑事だとしり、あの時間に会う客には声をかけられるようになった。
 その中で河北はよく自分に話しかけてくれる。元々、おしゃべり好きなんだよと、そう沖が教えてくれた。
「なにぃ、場所を教えろ!」
「秘密です」
 興味津々な佐木に郷田は何故かその店のことを教えたくなかった。
 暖かくて大切な場所。小さい頃に作った秘密基地のように内緒にしておきたいと思ってしまったのだ。
「後輩の癖に先輩に秘密ごとなんざ、いい度胸だなぁ」
 自分よりも細身で頭一つ分背丈が低いが、どんな男相手にも佐木は怯まない。
 今もプロレス技をかけられ、ギブです、と腕を叩く。
「おい、佐木よ。プライベートなことにまで首を突っ込まなさんなって」
 野暮だなぁ、と、佐木を止めてくれる。
「班長だって気になるでしょ! 割烹着が似合う美人店主」
 佐木はどうやら女性が店主で、料理以外に目当てで通っているのだと思っているようだ。
「まぁな。おめぇら二人は俺の息子みてぇなモンだからな。幸せになって欲しいのよ」
 班長も勘違いをしているが、父親のようにいつも温かく見守ってくれていて、その心は嬉しいので訂正することなく黙って気持ちを受け止める。
 佐木も西久保の気持ちはうれしいようで、照れ笑いを浮かべていた。
「しょうがない。俺はお前の兄貴として見守っていてやる」
 ひとまず、これ以上はからかったり、追及はしないでくれるようだ。
「俺は良い先輩に恵まれていますね」
 そう笑みを浮かべれば、佐木に背中を叩かれてコップになみなみと酒を注がれた。

 酔い潰れた佐木は西久保が送っていくからとタクシーに乗り込む。それを見送り、自分も家に帰る為に歩き出す。
 今日はもう店は閉まっている時間だ。だが今では郷田の帰るルートとなっており、明かりの消えた店の前を通り過ぎ、思わずため息がこぼれてしまう。
 暖簾をくぐり、店主の笑顔の迎えられ美味しい料理を食べて……、そんなことを考えていたらドアの開く音が聞こえ、奥からラフな格好をした沖が出てきた。
「わぁっ」
 外套の灯りの下、大きな図体の男が突っ立っていて驚いたのだろう。
 すぐにそれが郷田だとわかり、沖は安堵の息をついた。
「驚かせてしまってすみません」
「うんん、郷田君って解って安心した。今まで仕事だったの?」
「いえ。同僚と一緒に飲みに行ってました」
「そうだったんだ」
 外に出てきたということは、何処かへ向かう途中だったのかもしれない。
 邪魔しては悪いと思い、「おやすみなさい」と頭を下げて帰ろうとしたところに、沖が腕をつかんで引き止める。
「まって。夕食はちゃんと食べたの? お腹、空いてないかな」
 そう聞かれて、
「そうですね、少し空いてます」
 と素直にこたえる。
「あの、良かったらご飯、食べていかない?」
 既に店は閉まっている。
「しかし……」
「店ではなく家の方で」
「ですが、何処か行かれるのでは?」
「コンビニに行こうとしていただけで、特に必要なものがある訳じゃないから」
 そこまで誘われて断ることはできない。それでなくとも沖の手料理を食べたいと今さっきまで思っていたのだから。
「お言葉に甘えさせていただきます」
 そう頭を下げると、沖が真面目だなぁとくすくす笑う。
「おいで」
 と手招きをされ、そのあとに続いた。