甘える君は可愛い

上司と部下の「恋」模様

 朝、顔を合わせても三木本はいつもとかわらない。
 少しくらいは恥ずかしがる素振りをみせてくれるかと思っていたが、流石、三木本としか言いようがない。
 ぼんやりとその姿を眺めていたら、波多が目の前に立っていたことに気が付かずに、それに驚いて声を上げる。
「ぼんやりしすぎです、八潮課長」
 いつの間にか溜まってしまったファイルの山。
 これは流石にまずいなと苦笑いを浮かべる。
「あらら、こんなに仕事がたまってた? 駄目だねぇ、今日は集中力がないみたい」
「そのようですね。三木本がピリピリしてますよ」
 と親指で三木本を指す。確かにさっきよりも目つきが悪くなっているような気がする。
「わぁ、ちゃんとお仕事しまーす」
「そうしてください」
 ファイルの山から一つとって開く。
 三木本へ意識が向いている。それに気がついてピリピリしているのだろう。
 昨日の事があるのだ。気にしてしまうのはしょうがないと思う。
 まずは目の前の仕事に集中しなくてはいけない。

 仕事に夢中になると食事をするのも忘れてしまう。
 それは悪い癖だと三木本によく怒られる。それゆえか、声を掛けられなかった事に気が付いたときには、昼休みも残り十分ほどになっていた。
「これじゃ食事は無理かな」
 ご飯はあきらめて煙草を吸いに喫煙室へと向かう。
 そこには波多と久世の姿があり、紫煙を吹きかけられ久世が嫌そうに顔を背けている。
「ワンコちゃんはタバコ吸わないんだから、ここにいるの辛いだろう?」
「八潮課長、お疲れ様です」
「お疲れ様」
 シガレットケースから煙草を取り出して火をつける。
 昇進したときに三木本と波多から贈られた品だ。それ以来、ずっと愛用している。
 八潮に何か贈り物をしようと言いだしたのは三木本なのだと、貰った時に暴露するようなかたちで波多に教えられた。
 その頃から既に自分を好いていてくれたんだなと、一年前、告白をされた時の事を思いだす。
(告白の時ですらいつもと変わらなかったな)
 照れる様子もなく、真っ直ぐと自分を見つめて好きだと言ってくれた。
 と、そこで昼休みに彼から声を掛けられなかったことを、ふ、と思いだす。
 昼休みに入る少し前まではデスクに居た気がしたが、その後はどうしたのだろう。
「そういえば、三木本君は出かけたのかな?」
「確か、他の部署の奴に呼ばれて出ていきましたが、戻ってきていませんね」
 他の部署と聞いて、すぐに昨日の男の顔が頭に浮かぶ。
 まさか、揉めているのだろうか。
 三木本の事が心配になり、煙草をもみ消して先に戻るねと喫煙室から外に出る。
 携帯を取り出して連絡を入れれば、階段の方から着信音が聞こえてきて、覗いて見てみれば階段から降りてくる三木本の姿があり、電話にでようとしたところで向こうも八潮に気がついた。
「八潮課長、どうされましたか」
 トラブルですかと、仕事モードに入る三木本に、見た限りでは特に何か起きた様子はなさそうだ。
「君が他の部署の子に呼ばれたというから、昨日の男かと思ってね」
「……もしかして、心配、してくれたんですか?」
 戸惑うような仕草を見せる三木本に、
「当たり前だよ」
 と両肩を掴む。
「ご心配お掛けしました。ですが大丈夫ですよ。昨日の謝罪をされただけですし。それよりも、八潮課長、ちゃんと飯、食いましたか?」
「いや、まだだけど」
「これ、食ってください」
 コンビニの袋を差し出され、中にはおにぎりとお茶が入っている。
「課長に声を掛けられなかったんで、もしかしたらと思いましてね」
「あ、うん。ありがとうね」
「いえ」
 どうして、いつも自分の事より八潮を優先するのだろう。
 それが胸を激しく波打たせて、彼の腕を掴み抱き寄せる。
「なに、を」
 言葉は最後まで語ることはなく、唇が重なり合う。
「ん、ふ」
 暴れて唇を離そうとする彼を壁に押し付け、さらに深く貪る。
「か、ちょう……、んぅ」
 くちゅりと水音をたて、吸い込む。
 とろんとした目で八潮を見つめ、口づけを受け入れ始める。
 ぎゅっとシャツを掴む三木本は可愛い。
 もっと自分に甘える姿を見たいと、そう、思った。

◇…◆…◇

 八潮は甘えられるのが好きだという事は知っている。だからすぐにいつもの自分に戻れた。
「課長、こんなところでやめてください」
 そう彼の胸を押して離れる。
「えぇ、昨日は繋がりあったというのに? 君だって僕を離してはくれなかったじゃない」
 にやにやと口元に笑みを浮かべ、頬を手の甲で撫でる。
「そうでしたね。俺、気持ちいい事が好きなんで。さ、早く席に戻って飯を食ってください」
 余裕ぶったふりをして、なんでもないような顔をする。
「僕も、気持ちいい事は好きだよ?」
 と、攫うように口づけをして席へと戻っていく。
「はぁ、なんなんだよ、あの人……」
 以前、告白してフラれてしまったが八潮に対する想いはかわらない。求められたら拒めるわけがないのだ。
 身体だけでもいいから、また自分を欲しがってもらえたら嬉しい。

 だが、あれ以来、八潮から誘われることはなかった。
 忙しいというのも理由の一つだが、やはり男とするより女がいいと思ったのだろう。
 あの時は気の迷いだったんだ。きっと……。
 既に一度、フラれているのだ。自分は八潮の好みではない事は解っている筈だ。
 自分の馬鹿さ加減に呆れつつ、それでも心の奥底では自分と気持ちいい事をすることを望んでくれているのではと期待してしまう。
 後から肩を叩かれ、ドキッとする。
 もしかしてと期待をこめて振り向くが、目の前にいる相手は会いたくない相手だった。
 すっと目を細めて冷たい表情を浮かべて彼を見る。
「何の用です?」
「おいおい、そんな怖い顔するなよ」
 八潮に見られて逃げたことを謝られて、彼のお蔭もあって良い思いができたので許してやった。
 それで関係も元通りになったと勘違いしているのか。
「逃げてしまった事は謝ったし、君だって許してくれたじゃない」
 もう一度やり直そう。そう言われて、断ろうとしたが死角に連れ込まれてキスをされる。
「んっ」
 いくら死角とはいえ、こんなところでキスをするなんて。
 拒もうとも力は相手の方が強く、両手を抑え込まれ身動きが取れない。
「はぁ、やめろ」
 足に力が入らなくなり、男は腰に腕を回す。
 もう、抵抗する気も起きずにキスを受け入れてしまう。
「たってる」
 と、足を差し込みたちあがった箇所を弄られて芯が震える。
「トイレで抜いてやるよ」
 そういうと気分が悪くなったふりをさせるように肩を抱きしめて大丈夫かと背中を摩り始める。
「いい。一人で、する」
「駄目だ。気分が悪い時ぐらい甘えろ」
 口元をニヤつかせながら下心丸出しの顔を向けてくる。
 抵抗した所で思い通りにされてしまうのだろう。
「……やるならベッドの上が良い」
「はじめから素直になればいいんだよ」
 そう言われて、すぐさま目的地をホテルへ変更する。
 会社を出ようとした所で、
「おい、三木本」
 と声を掛けられて。振り向くと波多と久世が近寄ってくる。
「飲みに行こうと誘おうと思って、お前の事を探してたんだ」
 と腕を掴まれた。
「俺、三木本さんと一緒に飲んでみたかったんですよー」
 ね、と、彼にも笑顔を見せる。
「他の部署の先輩からも、色々と聞いてみたいし。後で八潮課長も来るんですよ」
 とその名を聞いた途端、彼は気まずそうな表情を浮かべ、
「あ……、俺は遠慮するよ。三木本、また今度な」
 そういうと帰ってしまい、正直、声を掛けられて助かった。このままではホテルで彼に抱かれていただろうから。
「実はさ、物陰に連れて行かれるところを久世が見つけてさ、声を掛けた」
 もしも邪魔をしてしまったのなら申し訳ないと波多が謝り、正直に助かったとこたえる。
「なら良かった。前にさ、お前、彼に呼び出し食らったろう? その話をしたときの八潮課長が慌てて喫煙室から出て行ったから、気になってて」
 確かに、あの時、自分を心配して探しに来てくれた。
 そして、口づけをされたのだ。
「……」
「課長、まだフロアにいたから行ってみたら?」
「あぁ」
 ありがとうと礼を言い、三木本は八潮の元へと急いだ。