獣人の屋敷
森の奥へは一度も行ったことがなかったが、まさか獣人の国へ続いていたとは。
ふたりと出逢ったあたりにはベアグロウムが生息しているし、知っているから奥まで行こうという者はいないから今まで知られることがなかったのだろう。
森を抜けて少し歩いた所に屋敷がある。
貴族はとても広くて立派な家に住んでいるのだと村長の息子から聞いたことがあるがその通りだった。
ただし庭園には花ではなく野菜が植えられているようだが。
今更だけど馴れ馴れしい態度をとってしまったし敬語で話していない。やはりまずいだろうか。
ちらりとシリルへ視線を向けると、それに気が付いてどうしたのかと聞いてきた。
「え、あ、うん、シリル……様は貴族だ、ですよね」
なれない言葉使いにつまり、シリルが目を瞬かせる。
「なんだ、そんなことか。確かに貴族だけど、ここではただのシリルだし、ファブリスだ。な?」
「そうだ」
だから気にすることはないと言われてホッと胸をなでおろした。
「よかった。教養なんてないし、村じゃ皆こんなかんじだから」
「村、ドニが住んでいる所か」
「うん。森の向こう側にある小さな村なんだ」
自慢できる物も人もいない。
「なぁ、さっさと家の中に連れてけよ」
ドニを見たロシェが、いつもの通りに乱暴な口調でいう。
「あぁ。シリル」
「わかった。ようこそおいでくださいました」
と優雅に礼をしてドアを開く。
貴族など目にしたことはないので、なんかすごいなという気持ちでしかない。
「おかえりふたりとも」
声に気が付いたか、奥から艶やかな黒毛の獣人がやってくる。
「うひゃ、ファブリスとは違うタイプのカッコいい獣人」
拝むように指を組むドニに、ロシェが呆れた表情を浮かべた。
「なっ、なんで人の子がここに」
「シリルの怪我の手当をしてもらった」
「怪我だと! お前が付いていながら」
「すまない。僕がファブリスのいうことを聞かなかったから」
「むふ、むふふふふふ、ぢあわせ」
興奮しすぎて言葉がおかしいドニに、黒毛の獣人が尻尾を立てて一歩後ろに下がった。
「なんだ、この変な奴は」
「ドニだ。こんなだが薬師としての腕はすばらしいぞ」
「見かけで判断してはいけないやつだな」
どうやらふたりのようには仲良くしては貰えなさそうな気がする。目が合ったのにすぐにそらされてしまった。
ファブリスとゾフィードがお茶の用意をしている間、シリルの案内でドローイングルームへ向かう。
聞いたことのないものだからそれは何なのかと尋ねてみたら、客をもてなす部屋だと教えてくれた。
「へぇ、すごいねぇ」
「座ってくれ」
立派な椅子だ。そこに恐る恐る腰を下ろすと柔らかくて驚いた。
「すごい!」
「へぇ、昼寝をしたら気持ちよさそうだな」
ドニたちが寝ているベッドよりも何十倍も柔らかい。
「たしかに」
クッションもふかふかであった。
一生知らずにいただろう、贅沢すぎるものたち。それを体験しているのに実感がないのだ。
部屋を眺めたりクッションやソファーの感触を味わっている間にお茶の用意ができたようで良い香りがしてくる。
「嗅いだことのない香りだ」
茶色い液体がティーカップに注がれる。とても良いにおいで匂いを嗅いで息を吐く。
「紅茶だ」
「これが紅茶なんだね。話しで聞いたことしかなくて」
「そうか。飲んでみるといい」
「うん」
はじめて飲む紅茶はとても飲みやすく美味しかった。
「なるほど、こういう味なんだ」
茶色い色をした飲み物と言えば煮出した野草汁くらいしかない。健康に良いが少々苦い飲み物だ。
「アレと同じ色なのに全然違う」
ロシェも驚きながら紅茶を飲んでいる。健康のために飲めと爺さんに言われていたから飲んでいたけれど本当は嫌いなのだとか。
「菓子も食べるといい。美味いぞ」
「わー、いただきます。んっ、サクサクで美味しい」
「ん、悪くねぇな」
素直に美味しいと言わないが気に入ったようだ。
「それは良かった。俺の手作りだ」
「え、ファブリスが作ったの!?」
見た目とのギャップにドニの心臓が打ちぬかれて口元が緩んだ。
「うへぇ、カッコいいのにお料理するとかたまらんっ」
嫌そうにロシェがドニを見るがいつものことなので気にしない。でへ、ぐへ、とか口から洩れる。
「キモっ」
ロシェが冷めた目で見ている。この態度はいつものことなので気にしない。
お茶をご馳走になりファブリスとロシェは剣術の話から庭で稽古をつける流れとなり外へ。ゾフィードはいつの間にか部屋にはいなかった。
シリルと二人きりとなったドニは気になっていたことを口にする。
「シリルは王都に住んでいたんだよね。どうしてここに?」
貴族は大きな家に住み使用人がたくさんいるんだと前に村長の息子から聞いたことがある。だがここには三人しかいない。
「王都の暮らしが嫌になって逃げてきたんだ。だから使用人はいない。ふたりは僕一人では生活ができないだろうからとついてきてくれたんだ」
「そうだったんだ」
確かにここなら静かに暮らせそうだ。
「シリル、外のテラスにお茶を用意するが」
いつの間に側にいたのか。真下から見あげる姿も良きなんて思っていたらゾフィードの尻尾が脹らんだ。
「変なことを考えていなかったか!」
じゅるり。
小さな音も獣人には聞こえてしまうようだ。
「えー、かんがえてないよー」
「嘘を言うな変態めっ」
そう言い残してゾフィードは部屋を出ていった。
「嫌われちゃっているかな」
「ここに誰かが来ることなど無かったから心配しているのだろう」
「そっか。ゾフィードからしてみたら警戒すべき相手だよねぇ」
力では敵わないがドニは薬師だ。薬を使って何かをするかもしれない、そう思われてもしかたがないだろう。
「すまない。僕の怪我を治療してくれたのはドニなのに」
「それだけシリルが大事ってことだから」
まだ出逢ったばかりなのだからしょうがない。信じてもらうしかないのだから。
「ドニ」
「さ、外に行こう! ロシェとファブリスの剣術も見たいし」
「そうだな」
行こうと言われシリルにテラスのある場所へと案内を頼んだ。
庭ではロシェとファブリスが木の剣で打ち合いをしている。
彼は狩りのために弓と剣をはじめた。爺さんが生きているころ、使い方を教えてくれた。つよくなるために毎日剣をふるい弓を放った。
努力のかいもあり村では一番の使い手となったがファブリスには歯が立たないようだ。
森で出会った時も腰に剣を下げていたからシリルの護衛をしているのだろうが、それにしても剣をふるうファブリスはカッコいい。
「ふぁぁ、すごいねぇ」
素人目からしても相当の腕を持つのだろうとファブリスの剣術を見て思う。
「ファブリスは剣術もすごいが家事も得意だ。パーフェクトな雄なんだ」
体格が良く毛並みはサラツヤ、性格も良く家事もできる。
「モテそうだね」
「あぁ、モテるぞ。パーティに出れば秋波を送られているよ」
ドニだってエイダとダニエルに同じことをされて嫌な想いをしたことがあるのだから。
「それにしてもファブリスは楽しそうだな」
「そうなの?」
「ロシェが一生懸命だからだろうな」
ファブリスだけでなくロシェも楽しそうな顔をしている。
「俺さ、獣人の絵を見せてもらってからずっと会いたいと思っていたんだよね」
「あ、うん、興奮具合を見ていたらなんとなくわかったよ」
「あはは、だって本物だよ!」
憧れの存在なのだ。だけどそれだけではない。ロシェを見ていたら強く思う。
「シリルたちと知り合えたことがなにより嬉しい」
貴族がどんなものなのかは解らないが平民が話せるような人ではないと村では聞いていた。それなのに気さくに接してくれるし、他人に関心のないロシェがドニ以外の人と楽しそうにしている。
「僕も、ドニたちと知り合えて嬉しいぞ」
人の子と仲良くなれるなんてと柔らかく笑う。
美味しいお菓子とお茶をご馳走になり会話を楽しんだ。そろそろ暗くなりそうだからと家へと帰ることにした。
「また遊びにきてくれ」
シリルが手を握り別れを惜しみながらそう言ってくれる。
「うん、必ず遊びに行くね」
「それでは行こうか」
シリルたちが住む屋敷へ向かうのに自分たちだけでは行き来するのは危険なことを告げ、ファブリスが家の近くまで送ってくれることになった。
さすがのベアグロウムも獣人に警戒をしているようで姿を見せない。安全に生息地を過ぎ家の近くまで来れた。
「あの、屋敷に行きたいときどうしたらいいかな?」
「伝書鳥という手紙を届けてくれる鳥がいる。今、俺らの頭上を飛んでいるんだ」
懐から何かを取り出して口にくわえる。
笛かと思ったが何も音がしない。
「ファブリス、一体何を?」
「すぐにわかる」
拳を握り腕を上げるとそこに一匹の鳥が止まる。
「うわぁ、かっこいい鳥さん」
茶色い羽で目つきの鋭い鳥だ。
「ドニたちの住む家を覚えさせている。この笛を吹くとその相手に元へと飛んでくる」
「すごいね」
「あぁ。また、ふたりにシリルに会いに来てほしい」
連絡をくれたら迎えに行くからと言ってくれた。
「ありがとう」
「俺も、またふたりに会いたい。だから連絡を待っている」
そうドニを見て、ロシェに微笑み尻尾を大きく振るう。
「は、どうだかな」
つれない態度のロシェにファブリスは苦笑いし、ドニに別れの挨拶をして来た道を戻っていった。
その姿を見送り先ほどまでいた屋敷の、その中の部屋よりも小さな家へと向かう。
夢の世界から現実世界へ帰ってきたけれど余韻がまだ残っている。
「それにしても本物は違うね。見せてもらった姿絵よりも何倍も素敵だったなぁ」
今思うとあの姿絵は腕のある画家が描いたものではないのだろう。
「ドニ、いい加減に目を覚ませよ」
住む世界が違うのだと言いたいのだろう。
「でも知り合ったんだもの。夢だと終わらせない」
フンフンと鼻息を荒くこぶしを突き上げる。
「はぁぁ……」
額に手を当ててロシェが首をふるう。
なんだかんだと言いながらもロシェはドニに付き合うだろう。暴走を止めるのは彼しかいないのだから。
森から出るとランプの光と照らされてうっすらと浮かび上がる大きな人。いつも親の後ろに隠れている無口な彼の姿が思い浮かぶ。
「クリフか」
「何の用だろう」
滅多に家に来ることはないがドニが一人でいるときに話しかけてくることがある。親に頼まれて何かを貰いに来るのだ。
「どうしたの?」
ランプの明かりを掲げるとビクッと肩を揺らした。
驚かせてしまったか。だけどこんな所に一人で立っているほうが怖いと思うのだが。
「狩りに行ったとき見つけたから」
握りしめたものを差し出されて受け取った。
「ありがとう」
紫色の花が咲いているのは料理に使えるハーブの一種だ。
「よかったら、こんど、一緒に摘みにいかない、か?」
「うーん、当分忙しいから無理かな」
それにあの家の人とはあまり関わりたくない。
「そうか」
大きな背中を丸めて彼は帰っていった。
「不気味な奴だな。ドニ、家の中に入ろう」
悪態をつきロシェが家に入る。その後に続く。
「ドニ、気をつけろよ」
「え? 大丈夫だよ。クリフはおとなしいもの」
「だからなんだよ」
何度か話をしたことはあるが何かされたことはないし、誘われたのははじめてだ。
「はぁ、夢の時間が終わっちゃったね」
それよりも獣人だ。
あのもふもふとした感触を思い出すと口元がふよふよとしてしまう。
「ドニ、ヨダレ」
「え、あ、やばい」
手の甲で口元を拭う。
「は、黒いのが『変態』と言ってたの解るわ」
「ゾフィードね。つやつやでキレイな毛並みだったね」
シリルとファブリスのように歓迎はしてくれていなかったけれど、別の種族だからと嫌っているわけではなさそうだ。