庭での出会い
ヴェルネルは黒い髪と茶色い目を持つ。栄養が足りていない体は背はそこそこ高いがやせ細っていて、肌は荒れ着ている服も継ぎはぎだらけでボロボロであった。そのせいでまるで枯れた枝のようだと笑われる。
母親は庶民であり、下賤な血が混じった私生児だからと冷遇されていた。家族だと認められず使用人と同じように呼ぶように言われている。
血のつながりのことを知っているのはタズリー家の者と執事、そして侍女長だけだ。他の使用人達からは刺繍の腕を買われた庶民だと思われていて、自分たちよりも扱いが悪いこともあって下に見ているのだ。
部屋は使用人用に建てられた場所にあり日当たりが悪く狭い。
与えられる食事は二回。廃棄寸前の硬いパン、食べ残った具のないスープのみだ。腐ってカビが生えていないだけましではあるが。
庶民は男でも刺繍をするものがいる。金になるからだ。だが貴族は違うようで女がするものだとバカにされた。
それでも、刺繍は母親との楽しい思い出の一つ。ヴェルネルにとって大切なものであるし、自分がこの家で生きる価値はそれしかないのだ。
どんなに辛い目にあっても耐え抜いているのは母との約束があったから。つらくとも生きてほしい、その願いは必ず守りたい。
ヴェルネルに許されるのは部屋で刺繍をする、たまに夜の数分だけ散歩をすること、それだけだ。
今日は庭に出られる。嬉しくてスケッチブックと鉛筆をもっていく。
今の時期だとバラが咲いているだろう。
花を見ながら図案を考えるのだが、夢中になると周りが見えなくなる。だからすぐそばに誰かがいることに気が付けなかった。
「ほう、うまいものだな」
声を掛けられて心臓が飛び出るくらいに驚いた。持っていたスケッチブックと鉛筆が地面に落ちた。
誰かが来た時は隠れるか部屋に戻ること。義母からきつく言いつけられていたことだ。
荷物を拾おうとするが先に相手にとられてしまった。
「君は?」
どうしたらいいのか混乱して何も言えずに俯いた。
「どうした話せないのか」
「あ……」
怖い。見つかったら仕置きをされるだろう。背中や足を鞭で打たれて、痛くて刺繍をするのがしんどくなる。
逃げなければいけないのに足が動かず、血の気を失い体が震えだす。
「寒いのか」
震えているなと言われ体に何かを掛けられ、ヴェルネルは顔を上げた。
目の前にいるのは整った容姿を持つ身なりの良い男だった。
そして肩にかかっているのは彼が着ていただろう上着である。
「え、あっ」
慌てて脱ごうとするが彼の手がそれを止めた。
「そんなに薄着でいては風邪をひく。着ているといい」
そういうと彼は立ち去った。
目の前で起きたことは夢ではないだろうか。この家に連れてこられてからといもの優しくされたことがなく、ポーっと彼のの後姿を眺めていると、すぐに現実に引き戻されることとなる。
侍女が上等な上着を肩に掛けたヴェルネルを見つけたからだ。
「どうしてお前がそれを着ているの!」
「え?」
「よこしなさい」
上着を奪われてしまい、呆然としている間に侍女は屋敷へと行ってしまった。きっと先ほどのことを報告しに行くのだろう。これは仕置き決定だ。
痛みに耐えながら自分の部屋へと戻る。
あの後、侍女が告げ口をし義母と姉に罵られて仕置きをされた。ただ、いつもよりも酷くはされなかったものの痛いものは痛い。
彼はアレッタの婚約者となる人で、ヴェルネルが会話をしていい相手ではないと言われた。ただ恥でしかない私生児なのだからと。
いつもならその通りなのだから特に何も思わないのだが、親切にしてもらったことで、あんな優しい人と婚約ができるなんてと思ってしまったのだ。
自分とは違い彼女たちは沢山のものを生まれた時から持っている。自分だって半分は同じ血が流れているのに何も持っていないのだ。
妬んだところでどうにもならないのに。ここにきてから優しくされたことがなかったからだろう、そんな相手の婚約者に選ばれるなんてと思ってしまう。
この国では同性婚も許されており、跡継ぎを必要としない男子と政略婚なんてこともある。そう、自分にだっ縁があれば……なんて絶対に無理なことを考えてしまう。
「はぁ、普通に何をしているのかと思うよな」
夜に、しかも使用人よりも酷い格好をした男が立っていたのだから。不審者だと思われてもおかしくない。だが彼は寒そうだと上着を貸してくれたのだ。本当に優しい人だ。
それにしても彼は何しにここへ来ていたのだろう。ヴェルネルが散歩を許可される日は来訪者がいない時だけだ。
許可を下すのは義母だから彼女が知らぬ所で客がきていたのだろう。
だが知らぬところに彼がきたから出逢うことができた。ほんの数口話しただけだけど人の温かさに触れることができたことにヴェルネルは幸せを感じた。
急な来訪の理由を次の日知ることになった。
彼の訪問は急であったそうで、しかもヴェルネルを部屋に戻そうと侍女に命じたそうだが一歩遅かったみたいだ。
汚いものに触れさせてしまったとアレッタが文句をいう。
「あぁっ、あの人の上着が穢れてしまったことにも腹が立つわっ! 本来なら食事も抜くところだけれどもお前には当分手を出すなと父から言われているし」
この家に来てから父親は自分をかばったことなどない。仕置きだと鞭で打ち付けられているのを見てもなんとも思わないのだから。
刺繍を命じられているときだって止めないのに、今回はそれほど大切なのだろう。
「お前には王家に提出する刺繍をしてもらう」
婚約者となる人だと聞いていたがまだ決定ではなく、これをうまくこなせたら正式に婚約者となるそうで、痛めすぎて刺繍ができなくなると困るのはアレッタである。
「わかりました」
渡されたのは上等な生地で作られたシャツに、好きな糸の色を選び刺繍をする。デザインは自由だそうだ。
彼のために繍《ぬ》うとなると今までで一番心が弾んだ。