報告書(セルジュ)
タズリー伯爵家の姉妹は優れた容姿と性格の良さ、そして刺繍の腕前が素晴らしい、と言われているが実際にどうなのかはわからない。大抵の貴族は猫をかぶるのは得意である。
刺繍だって本当に自分でしているのかもわからない。実際に繍っているところを見たことがないからだ。
良家に嫁ぐために刺繍を教わる、そうはいっても器用ではない令嬢もいるし、刺繍をするのが嫌いな令嬢だっている。こっそりと職人を雇い替わりに刺繍をさせる……なんて話を聞いたことがある。
それでも婚約者をアレッタに決めたのは、辺境伯へ降下することが決まっていたセルジュが新しい領地で始めようとしている事業に関係があった。
王族御用達の刺繍工房であった。利用できるものは親や兄弟でも使うつもりであった。
そうするからには素晴らしい物を作らなければいけない。そこで工房を任せるには相当な腕が必要である。
アレッタが本当に腕が良いのならそれでいい。だが違うとなれば彼女の替わりに刺繍をしている者がいて、一緒に連れてきて貰えばいいだけだから。その時はお飾りの責任者として彼女を置けばいいだけ。
一度、アレッタを婚約者と決めたのだが、そこにエリーゼが贈り物だといい王妃殿下へとショールを、第二王女へ妹へハンカチを贈った。複雑な模様で、パールの糸がより美しさを際立たせる。
これを数日で仕上げるのは大変だっただろうとエリーゼに言うと、二人に喜んでいただけたらと思い頑張りましたという。
こういう人こそ任せるのに相応しい、だから決まったばかりの婚約をふたたび候補にし、エリーゼも候補へと加えたのだ。
アレッタには悪いことをしてしまったとタズリー卿には伝えたが、どちらかと縁を結んでいただけるのならという。
セルジュは辺境伯となるが、もしも子供ができたとしても身分は伯爵となるし領主になることもできない。国でそう決まっているのだ。だがセルジュが生きている間は恩恵をうけることができる。だから結婚までこぎつけたいのだ。
貴族の婚姻などこんなものだ。お互いに惹かれあって結婚をした者など数少ないのだ。
数日後、アレッタから手紙が送られてきた。重要な話があるから会いたいという内容だった。
婚約者と決まったのに、再び候補になってしまったことに対してだろう。それに関しては何を言われても受け止めるつもりでいる。
そのことに関してアレッタは深く傷ついたと話したが、相手が妹でも自分の方が相応しい相手だと思ってもらえるように努力しますという。
なんと健気な。
アレッタにお詫びの贈り物をしたいと申し出ると、今度会う時に花束をくださいと微笑んだ。
宝石やドレスを強請らないところも良い。
ふたりに対して愛は無いが好ましと思う気持ちはある。
だから重要な話を聞いた時、すぐには信じられなかった。
「実は証言をさせるために侍女を連れてきております」
連れてきた侍女は二人。一人はいつもアレッタが連れてくる侍女だからもう一人の侍女に会わせたかったのか。
部屋から呼んでくるように側近に言い、すぐに彼女を連れて戻ってくる。
「話を聞かせてくれ」
「はい。王妃殿下へ送ったショールは私が刺繍したものです。こちらは練習で刺繍したものです」
とショールのデザインの一部を繍ったものを差し出した。使用されているのはパールの糸だ。
少々いびつなところがあるが練習ならありえるか。
「なるほど」
「エリーゼ様ようのショールとハンカチだと聞いていたので刺繍をしたのですが、まさか王妃殿下と王女殿下に贈っていたなんて。しかもアレッタお嬢様の決まっていた婚約がふたたび候補になってしまわれて、私のせいだと思うとつらくてアレッタ様に真実をお話ししました。そうしましたら王子殿下にお話をするようにと言われまして」
「あの図案はとても複雑で難しいものでした。ですがとても素晴らしい作品になることは間違いありません。エリーゼが下心を持ち侍女の刺繍を自分が繍ったのだといって贈っていたならば、姉として告げ口のようなことはしたくありませんでしたが、真実を知っていただきたかったのです」
悲しそうな表情を浮かべてアレッタが言う。
「よく告げてくれた」
「いいえ」
アレッタの手がセルジュの手へと触れる。その上にさらに彼は手を重ねた。
「申し訳ありません。どうも混乱しているようです。今日はおかえり頂けるでしょうか」
「また今度。ゆっくりとお話をいたしましょう」
「そうしよう」
アレッタは美しいカーテシーを見せ帰っていった。
部屋にはセルジュと側近であるフレット・ボスマンのみとなる。
彼は伯爵家の次男坊、学園で同級生であった。出逢ったころからウマが合い側近とした。
二人きりの時は親友としているため遠慮がなくなる。
「本当の話しかね、あれ」
丁寧な言葉使いでなくため口。セルジュと側近は同い年で幼き頃からの親友であった。
「どうだろうな」
アレッタの前では信じたように見せかけたが、エリーゼを陥れるために作り話をしたかもしれない。
「一度、調べた方がよいだろうな」
本当の彼女たちはどんな人なのかを。そして実際に誰が刺繍をしているのかを。
「タズリー伯爵家に影をおくる」
「了解」
王族にはいざという時のために影を与えられる。周囲に溶け込み任務を全うする。
一体何を拾ってくることだろう。
「失望させないでくれよ」
婚約破棄なんて展開になると面倒だと本音がつい漏れ出てしまう。
「刺繍の腕が見事な令嬢を探すのは大変だからな」
領地でやりたいことを実現するために、刺繍の腕前は必要不可欠だ。
「刺繍の腕があれば男でもよいのだが……習わせる親はいだろう」
この国は男子のみ同性婚も許されていて、求められるのは領地管理や事業などパートナーとして表にでることを望まれる。刺繍をするより勉強をさせるだろう。
そのために学園があり、男子は貴族教育と剣術のために通うのだ。ちなみに女子は家庭教師をつけて淑女マナーの教育と刺繍を学ぶ。
「令息はまずやらないな。だが庶民の中には男の刺繍職人がいると聞くぞ。見事な刺繍は高値で売れる」
「わが国では刺繍は重要な役割をはたしているからな」
男が刺繍をしている、その話を聞いた時になぜかタズリー伯爵家の庭であった使用人のことを思い出した。
たった一度しか会ったことがないのにだ。
「庭園で会った彼も刺繍をするのだろうか」
顔はよく覚えていないが袖口には可愛いバラの刺繍があったことは覚えている。
「あぁ、あの時の使用人か。枯れ木の棒みたいなイメージしかないが」
あの時フレットも一緒であったからなんとなく覚えていたのかもしれない。
言葉は悪いが本当にそのような感じではあった。
「自分のところの使用人がそんな状態だったら気にならないか」
「確かに。ついでに調べよう」
一体、どんな報告を受けることになるだろうか。
陰からの報告書を読み終えて背もたれに体を預ける。そして深く息を吐き出した。
「は、胸糞悪い」
あの美しい見た目と違い中味は醜い姉妹だった。いや、ふたりだけでなくタズリー家の者たち全員がだ。
私生児だからと虐げていたのだから。
家に置いていたのは刺繍のため。生きるのに必要な最低限のものしか与えず利用していたのだから。
読み終えた報告書をフレットに渡し、それを読んだ彼は自分の腕をさすり始めた。
「見た目にだまされた」
「彼女たちのことなどあまり知らないのだからだまされるのも無理はないさ」
婚約者候補になったからといっても頻繁に会うことなど無かったのだから。
「純血でなければ家族ではない? くだらない。どうして貴族はそんなことで相手を見下すのか」
「そう思わない者の方が少ないんだよ、セルジュ」
血だけではない。容姿に対しても陰口をいう、虐げる者もいるのだから。
「そうだな。考え方は合わんがな」
「俺もだよ」
「タズリー伯爵家と姻戚になるつもりはないが彼は欲しい」
そのためには一度彼に会う必要があるだろう。
「フレット、タズリー伯爵に手紙を届けてくれ。近いうちに会いに行くと」
「了解」
手紙をしたためてフレットへと渡す。
それまでに彼女たちへ課題をひとつ。婚約者を選ぶ参考にすると伝えて刺繍をさせるつもりであった。