秘密の会話
誰かの使ったシャツとズボンではあるがヴェルネルがいつも身に着けている物よりもキレイでつぎはぎもない。
それを渡されて着替えるように言われる。
そして連れていかれたのは庭であった。たしか今日はアレッタとエリーゼの婚約者候補が来る日で、けして部屋の外へはでるなと言われていた。
それなのに服を着替えて外へ連れていかれるとは。
もしかしたら庭で会った彼の姿が見られるかもしれないなと少しだけ期待をしてしまったのだが、少しどころではなかった。
「セルジュ様が庭師であるお前に案内をと申されてな。いいか、余計なことはいうのではないぞ」
「わかりました」
タズリー伯爵家の当主であるデニスはヴェルネルの監視をさせるために侍女を一人つけた。
庭には彼と側近、自分と侍女の四人だけ。バラが見たいと言われてそこまで案内をする。
すると彼は側近と侍女にそこで控えているようにいう。
それに慌てたのは侍女だ。声が届かぬところまでいかれてしまっては監視の意味がなくなってしまうから。
だがセルジュに睨まれて黙り込む。使用人が高貴な方に意見をするなんてことは許されない。命じられたら素直に聞くしかない。
侍女と離れることができたことにホッとする。
「君、名は?」
「ヴェルネルと申します」
「そうか。俺はセルジュ・ラ・フォンティーヌ・スヴァルツだ」
名は知らなかったが彼が第三王子であることは知っていた。
このまえは日が落ちていたのでランプの明かりでしか彼を見られなかったが、姿勢がよく優れた容姿をしていた。
だが日の照っている場所でみる彼は、相当すごかった。
アースブルーの髪は襟足が長く、黒色のリボンで束ねていた。切れ長の目とエメラルドの瞳。鼻筋が通っている。
同じような身長なのに体つきは天で違う。ヴェルネルなど簡単に折り曲げられそうだ。
「あの、どうして私を?」
本当の庭師がいるのに。どうして自分が庭師になってしまったのだろう。
「実はな、婚約者候補殿たちに今まで繍ったものを見せてもらったんだ」
「そうだったのですね」
いつもなら刺繍を頼んでくるだろうに、きっといきなり言われたのかもしれない。
「それで見せてもらった後にお茶をしていてね。君のことを思い出したんだ」
「え、私を、ですか」
きっと使用人よりもみすぼらしい格好をしていたから、逆に覚えていたのかもしれない。
もしくは見た目か。伯爵家の人たちに枯れ枝と言われるくらい、本当に自分はそのような見た目だから。
とにかく悪い印象で残っていたのだと思い、一瞬、覚えていてくれたことに浮かれたけれどすぐに落ち込んだ。
「庭で絵を描いていたな。制服を着ていなかったから庭師かとタズリー卿に尋ねたのだよ」
「そういうことでしたか」
屋敷で働く男性は紺の制服、庭師は自由で動きやすい服装をしていた。客人がいるときに私服を着ている使用人が外にいるなんてことは家の恥となる。
それをヴェルネルはやらかしてしまっているが。
「お客人がいらっしゃると知らずにお目汚しをしてしまい申し訳ありません」
「いや、責めているわけではない。それに君が庭師でないことは解っているから」
「え、それはどういうことでしょうか」
庭師だと思ってデニスに尋ねたのではないのか。
言いたいことが理解できずに目を瞬かせる。
「あの素晴らしい刺繍は君の作品だよな」
刺繍、そう言ったのか?
ヴェルネルの心臓が煩いくらいに騒ぎ、サーと血の気が失せた。足に力が入らず地面にぺたりと座り込んだ。
「大丈夫か」
彼の手が腕をつかんで簡単に引っ張り上げられた。なんて力強いのだろう。いくら木の枝のようでも男なのだ。
「どうして」
だが今はそれ所ではない。知られてはいけないことを知られてしまったのだから。
軽蔑される。男が刺繍をしていることに。
お仕置きされる。今までよりも酷い扱いをされるだろう。
「お願いです。そのことは知らないことにしていただけませんか」
体の震えが止まらない。またくずれてしまいそうになったが、セルジュの腕が支えてくれる。
「どうした、何をそんなに恐れているのだ」
「私には刺繍しかないのです」
虐げられていることを話し、そのことがバレてしまったらと思うと言えなくて、そちらのことは伏せておいた。
「君が私生児だから、刺繍をすることを軽蔑されると思って?」
「それも知っているのですか」
家の者は誰も口にしないはず。使用人が口を滑らせたのか。
どちらにしてもデニスに知られたらおしまいだ。
「どうか、どうか、秘密にしておいてくださいませ」
「わかった。なぁ、伯爵家から逃げ出したくはないか」
「ここから、逃げる……」
そんなことができるのか。
じつはここに連れてこられてから一度逃げ出そうとしたことがある。だがすぐに捕まって三日間食事を抜かれ鞭で叩かれた。そんなことがあって、逃げるのを諦めてしまったのだ。
「そうだ。ヴェルネルが手を貸してくれるのなら、俺が君を連れ出そう」
「ほんとう、ですか」
セルジュならヴェルネルを連れ出すことができるだろう。デニスが何かを言ってきたとしてもうまく話をつけてくれそうだ。
「あぁ。どうだ」
手を差し出して答えを待つセルジュに、
「私は何をすれば」
ヴェルネルはその手にそっと触れると、セルジュがニィと口角を上げた。
「なぁに、彼女たちの課題を手伝ってやればいいだけだ。同じ図案を手渡したから」
「わかりました」
きっと姉妹からは刺繍をするように言われるだろう。だが今回は同じ図案。仕上がりは同じになってしまう。それにどちらかを選ぶように言われても無理なことも解るだろう。その後は自分たちでどうにかするしかないのだから。
ふたりが何を話しているのか気になっているのだろう。先ほどから互いの侍女が様子を伺いにきていた。
ただ、邪魔をしようものなら少し離れた場所にたっているセルジュの側近が何かを話し、使用人たちは帰っていく。
「どうやら俺たちの会話が気になるようだな」
その通りだろう。知られたら間違いなく縁が切れてしまうから。だが既に知られてしまっているのだが。
「そろそろ戻るとしよう」
「はい」
屋敷の中へと戻るとセルジュは姉妹に誘われてお茶をしに、ヴェルネルはデニスに連れていかれた。
「おい、セルジュ様とは何の話をしたんだ。余計な話はしていないだろうな」
「庭の案内を頼まれただけです。庭師だと思われていたので」
あの場所で話したことは二人の秘密、けして知られてはいけないことだ。
「それならいい。部屋に戻っていろ」
「はい」
頭をさげて部屋を後にした。