Short Story

少し前の話

 アレッタとレナーテ、そしてデニスが王宮へと向かった後。
 静かに部屋で過ごしていればドアがいきなり開いた。使用人ですら部屋をノックしない。自分たちよりも下の存在だと思っているからだろう。
 応接間に行くように言われて向かうと、中にいたのは継母と長髪でモノクルをした優し気な男性であった。
 彼とは目が合ったが継母は合わせようとせず、まるで空気のように扱われる。しかも話があるときは侍女か執事を通して言葉が伝えられる。
 愛人との間に生まれた息子なんて、同じ空間にいるだけでも嫌だろう。だから存在を無視するのだ。
「ヴェルネル様はじめまして。私はコーネイン侯爵家の五男で、アルフォンスと申します。セルジュ様の側近の一人です」
「私のことはヴェルネルとお呼びください。コーネイン様」
「それなら私のこともアルフォンスとお呼びください」
 名前を呼ぶ許可を貰う。母親は侍女をしていたことがあり貴族のルールを教えてくれたので許可がないと名前を呼んではいけないことを知っていた。
 挨拶の仕方も知っているのだが、家に引き取られた時にやってみせたら貴族の真似事かと怒られた。なのでそれ以来やっていない。
「セルジュ様から、貴方をお迎えにあがるように申しつけられました」
 それは、まさか王宮へ行くということか。目を瞬かせてアルフォンスを見れば、にっこりと笑う。
「服は着替えて頂く必要があります」
 流石にこの服では失礼にあたるだろう。継ぎはぎだらけだし、洗っているが汚れが落ちきれていない。
 だがヴェルネルにはまともな服はない。それを告げようとするとアルフォンスから大きな箱を渡された。
「事情は承知しております。セルジュ様からの贈り物です」
 箱を開くとそこには高そうな服が入っていた。
「え、これ」
「セルジュ様が、ヴェルネルには紺が似合うと」
 セルジュが選んでくれた。それが嬉しくて喜びがこみあげる。
 ふたを閉めて撫でる。後でお礼を伝えよう。
 そのやり取りを黙ってみていた継母が何かを執事に囁いた。
 そして、
「荷物をまとめておくように、とのことです」
 という。
「荷物を、ですか」
 何故荷物をとアルフォンスを見ると、懐から手紙を取り出して差し出した。
「セルジュ様からの手紙です。こちらをお読みいただければ解るかと」
 部屋でお読みくださいと部屋へと戻される。
 そこには体を拭くための水が置いてある。いつもは自分でやらなければいけないので、用意されていることに驚く。
 体を清めて服に着替える。それから手紙を読み始めた。
 内容は短く、
<約束を果たそう>
 と。夢ではないのだ。セルジュは約束を守り連れ出そうとしてくれているのだ。
「ありがとうございます、王子殿下」
 手紙を抱きしめて喜びをかみしめる。
「ヴェルネル、着替えは終わりましたか?」
 ドアの外から声を掛けられる。
 手紙をたたみ封筒にしまうと荷物を詰めた袋の中へと入れた。
「お待たせしました」
「これは、とてもよく似合います」
 お世辞だということは解っている。こんな枯れ枝のような男に上質な服だけが目立っていることだろう。
「おや、そのペンダントは?」
 シャツの下に隠すのを忘れていた。母親がいつも身に着けていたものだ。
「母の形見です」
「そうですか。おや、ロケットになっているのですね」
「はい。中には可愛い花の彫り物があるんです」
 と開いて見せた。
「これは! ほう、たしかに」
 何やら驚いていたが、綺麗な花の彫り物が気に入ったのだろうか。ヴェルネルも初めて見た時は同じような反応をしたような気がする。
「大切にしないといけませんね」
「はい」
 シャツの下にしまい、アルフォンスに続き歩いていく。遠巻きにこちらを使用人が見ている。上等な服を着ているからか、中には嫉妬して睨みつけている者もいた。
 決められた以外の時間に外に出るなんて、なんだか不思議な気分だ。
 太陽の光がまぶしくて、顔の前に手をかざして影を作る。
「あの馬車に乗りますよ」
 目の前にとまっているのはとても立派な馬車だった。
 やはり夢を見ているのではないだろうか。上等な服を着て立派な馬車に乗るなんて。
「夢ではありませんから」
 無意識に頬を抓っていたようだ。アルフォンスがくすくすと笑いながら赤くなった頬に触れる。
「さ、お手をどうぞ」
 手を差し伸べられて、どうしたものかと躊躇っていると、
「遠慮なさらず」
 と手をつかまれた。
「はい。ありがとうございます」
 女性にすることではとは思ったが、情けないこの姿を見て手を貸した方がいいと思ったのかもしれない。
 馬車に乗り椅子に腰を下ろすと柔らかくて座り易かった。自分の椅子とベッドとは大違いだ。
 それから、馬車に揺られてどれくらいか、お城が見えてきた。
 街の様子も驚いたが城の大きさに口をあけたままになっていたようで、アルフォンスが教えてくれた。
 なんて恥ずかしいんだと頬に手を当てる。
「外出も許されなかったのですか?」
「はい。部屋の中にいるか、夜の数分だけ散歩をすることしか」
「そうだったのですね」
「その時に王子殿下に会いました」
 運命的な出逢いだった。あの時のことがあったから今こうして外に出れたのだから。
「貴方とセルジュ様が出逢えて良かったです」
 そしてアルフォンスもこの出逢いを喜んでくれている。なんて優しい人なのだろう。
 母親と死に別れてから刺繍しかなかったのだ。
「ありがとうございます」
 涙が頬を伝い落ちていく。それをアルフォンスがハンカチで拭ってくれた。